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仙台高等裁判所秋田支部 昭和44年(行ケ)1号 判決

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告が昭和四三年一二月一二日なした、同年三月二七日執行の秋田県仙北郡協和村議会議員一般選挙における当選の効力に関する審査請求に対する裁決はこれを取消す、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、請求の原因として次のとおりのべた。

一、原告は昭和四三年三月二七日執行された秋田県仙北郡協和村議会議員一般選挙に立候補し、当選と決定されたものである。なお該選挙の当選人として訴外和田長一がある。

二、訴外佐々木徳治は右選挙に立候補し次点で落選と決定されたものであるが、同一において原告の右当選の効力に異議があるとして協和村選挙管理委員会に異議申立をしたところ、同委員会はこれを容れて同年四月一六日、選挙会で当選と決定された原告の当選はこれを無効とする旨の決定をした。

右決定の理由の要旨は「異議申立人佐々木徳治は昭和三八年二月一日和田家から佐々木家に入籍したもので、和田姓は同人の旧姓であり且つ同人の戸籍上の姓に代る呼称として世間一般に広く通用していることが認められるので、和田と記載された投票はそれのみでは和田長一候補に投票する意思が表明されていると認めることはできない。従つて和田と記載された投票は公職選挙法第六八条の二により右佐々木徳治、和田長一両候補に按分すべきものであり、その結果として右佐々木徳治が当選し、原告は次点で落選する。」というにあつた。

三、そこで原告において右決定につき被告に審査請求の申立をしたところ、被告は同年一二月一二日該申立を棄却するとの裁決をし、その裁決書は同月一四日原告に交付された。右裁決の理由とするところは次のとおりである。

(一)  佐々木徳治は昭和一六年七月二一日以降和田姓を名乗り、昭和二三年一二月七日和田久治、同ツキと離縁してのちも昭和三八年二月二日佐々木姓に戸籍訂正を受けるまでの間和田姓を用いて来たものであり、このことは同人の戸籍によつて明らかである。

(二)  また同人は嘗て戸籍上の和田姓によつて社会生活を営んで来たもので、現に友人知人の中に今なお同人を和田姓で呼んでいる者があり、これらのことは被告の調査によつてこれを認めることができる。

即ち被告は同人の現住所地旧峰吉川村の選挙人を対象として本件選挙に用いた選挙人名簿に基き無作為抽出により一八名に証人として出頭を求め、出頭した一二名に証人として同人の呼称を知つているか否かを尋問したところ、同人の通常の呼称和田が旧姓であり戸籍上の姓は佐々木であることを同人の本件選挙への立候補によつて初めて知つた者が多数であり、同人の呼称を和田と答えた者六名、和田徳治と答えた者四名、和田電気屋と答えた者二名で、知らないと答えた者はなく、またこれらのうち右呼称が隣近所でも現在使用されていると答えた者が九名あつた。また峰吉川地区駐在所巡査は、昭和四三年三月該駐在所に赴任して右地区半仙部落住民の戸籍関係調査をした際のことにつき、部落内では佐々木徳治はその氏名では通用せず、和田または和田電気と呼称されていたと答えた。また同人の勤務先であつた東北電力株式会社大曲営業所職員の証言では、同人は右営業所で昭和二四年頃より昭和二九年頃までの間旧峰吉川村の全域および隣接の旧荒川村の一部を担当する集金人として働き、その後昭和四三年二月退社するまでは普及係、サービス係として仙北郡一円に亘り農事電化、家庭電化の仕事に従事していたことから、同人を知つている者は現在でもこれを和田さん又は和田電気屋さんと呼んでいる、との答えであつた。更に同人宛の郵便葉書、年賀状、商取引上の請求書、納品書、領収書等には、和田徳治または和田と表示されていることが確認された。

(三)  これらの事実によつても、峰吉川地区内の多くの選挙人は佐々木徳治を和田、和田徳治または和田電気屋と呼んでいることは明らかであるから、申立人原告の主張は採用できない。

と。

四、しかし乍ら右裁決には公職選挙法第六八条の二の適用を誤つた違法がある。その理由は次のとおりである。

(一)  佐々木徳治は養親和田久治、同ツキと不和のため昭和二三年一二月七日協議離縁したものであるから、離縁と同時に旧姓佐々木を名乗るのが当然であつて、仮に戸籍の取扱上の過誤によつて昭和三八年二月二日まで同人の戸籍上の姓が和田であつたとしても、この事実から同人が右二月二日まで和田姓を名乗つて来たということはできない。

(二)  佐々木徳治は大正二年二月二日仙北郡大沢郷村において佐々木作蔵、同ミエの次男として出生し、昭和一五年一月二七日高橋シケコと結婚後まで佐々木姓を名乗つていたところ、翌一六年七月二一日前記久治、ツキの養子となつてここに初めて和田姓を名乗るに至つたが、その後前記離縁までの約七年間の大部分を満洲国で生活し、その間同人の家族や右久治らは西仙北町大沢郷で生活していて協和村とは全く縁がなかつたものである。

(三)  被告のなした選挙人尋問の手続は、原告が審理の際に意見をのべたい旨予め申立てていたのをさしおき極秘のうちに行われたものであり、しかも右尋問を察知した佐々木徳治においては事前に証人達を訪問して、和田が同人の通称である旨の証言をするよう懇願したものであるから、これらの証人の答えは全く措信できないものである。

(四)  本件選挙において「和田」「わだ」「ワダ」と記載された票は一九票であるが、これらのうちに「和田徳治」の如く名を入れたものは存在しない。またこれらの票はすべて和田長一の選挙地盤たる旧荒川村地区で投票されたものであり、佐々木徳治の地盤たる旧峰吉川村では右「和田」等の票は一票もなかつた。これらの事実は佐々木徳治が和田の通称で呼ばれていなかつたことを示すものである。

(五)  前記和田長一は協和村議会議員に本件選挙で連続三回当選したものであるが、同人はこれらのいずれの選挙においても「和田」「ワダ」という姓に重点を置いて選挙運動をして来たものであり、これに対し佐々木徳治は本件選挙で初めて立候補したもので、選挙運動についてポスター、立看板、街頭演説のいずれにも和田の名称を用いたことはなかつたし、立候補届出関係書類にも本名を届出たのみで和田の通称を有する旨の届出もしなかつた。これらの点から見ても、単に和田と記載された票が和田長一候補のみを指すものとして投票されたことは明らかである。

以上の事実によつて明らかなとおり、被告のなした本件裁決は公職選挙法第六八条の二の適用を誤つたものである。

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として次のとおりのべた。

一、原告主張第一乃至三項の事実はすべてこれを認める。

二、同第四項中、訴外佐々木徳治が同和田久治、同和田ツキの養子であつたところ、昭和二三年一二月七日右両名と離縁したものであることおよび、右佐々木徳治が本件選挙の選挙運動に際しポスター、立看板等に和田の通称を使用しなかつたことは認めるが、その余の事実はすべてこれを争う。訴外佐々木徳治は立候補届出と同時に選挙長に「和田徳治」の通称の使用申請をして、その認定を受けたものである。

立証(省略)

理由

一、原告主張第一乃至三項の事実は当事者間に争いがなく、いずれも成立に争いのない乙第一、第一〇号証によれば、本件選挙において「和田」「わだ」「ワダ」と記載された投票が一九票存在することおよび、右一九票が訴外佐々木徳治の異議申立に基づき公職選挙法第六八条の二の定めに則り候補者和田長一、同佐々木徳治両名に有効投票として按分されるより以前の、選挙会決定による得票数が、和田長一は二二一票、最下位当選者原告は一六四・九六八票、佐々木徳治は一六四・三七六票(他の佐々木姓の候補との間の按分票を含む)であつたことが認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

二、そこで訴外佐々木徳治が本件選挙当時和田姓を通称としていたか否かについて検討する。

いずれも成立に争いのない甲第二乃至四号証、第五号証の一乃至八、乙第四号証、第五号証の一、二、第六、第九、第一四号証、いずれも証人佐々木徳治の証言によつて成立を認めうる乙第八号証の一乃至一〇、同号証の一三、弁論の全趣旨によつて成立を認めうる同号証の一一、一二および証人佐々木徳治、同松渕忠美、同加藤好文(後記措信しない部分を除く)の証言によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  訴外佐々木徳治は大正二年二月二日秋田県仙北郡大沢郷村に生れ、昭和一六年七月二一日年令二八才の折、妻シケコと共に訴外和田久治、同ツキ両名の養子となつて和田姓を称することとなつたが、これに先立つ昭和一二年一二月頃より軍人として満洲に勤務したことから、昭和二二年一二月復員するまでは右仙北郡方面で生活することはなかつたところ、昭和二三年一二月七日右両名と協議離縁したため法律上は同日よりもとの佐々木姓に復した。

同人は右復員後は仙北郡協和村峰吉川地区で暮すこととなつたが、右離縁ののちである昭和二四年頃大曲市内の東北電力株式会社大曲支店に採用されて峰吉川地区全域を含む区域を担当する集金人として勤務し、昭和二九年以降は同社の普及係、サービス係として仙北郡全般に亘り農事電化、家庭電化に関する業務にたずさわり、昭和四三年二月退職してのち前記当事者間に争いのない本件選挙への立候補に及んだ。

(二)  ところが前記離縁復氏後も同人の子宏明(昭和一五年一二月生)、宣明(同一六年一二月生)、正明(同一九年四月生)、悦子(同二二年一〇月生)の四名は和田姓のままで成長してそれぞれ小学校乃至中学校の課程を終えて昭和三八年三月に及び、かたわら右離縁に伴い編成された同人自身を筆頭者とする戸籍が手続の過誤によつて筆頭者氏名を和田徳治と記載表示され、この状態が昭和三八年二月二日氏を佐々木と戸籍訂正されるまで続いたこともあつて、同人は離縁復氏後も事実上和田姓を用いることが少くなく、現に同人自身前記会社支店に勤務中需要家より集金する電気代金の領収書に取扱者として和田の姓を記名乃至押印した事実があり、昭和三六年頃までに新築した居宅を同年五月和田徳治名義で所有権保存登記し、その建築資金の借入、抵当権設定も同名義で行なつたものであり、右会社支店従業員中経歴の古い者は同人を在職中より前記退職後まで和田姓で呼ぶことがあり、同人が本件選挙後電気工事請負業をはじめてのちも近隣住民より和田電気の呼称で呼ばれることが少くなく、昭和三八年峰吉川地区内所在半仙神社の祭典の行われた際同人の出した寄附金の提供受領手続は和田姓でなされ、同年頃の同人の地主に対する地代支払いも和田姓でなされ、また同年三月同人の息子前記宏明が法律上の父母の姓佐々木に改姓を許可されたうえ翌三九年協和村役場に職員として入つた際、前記離縁復氏の事実を知らない役場職員において、徳治の息子が佐々木姓であることに不審をいだいた事例があり、昭和四三年三月峰吉川地区に赴任した駐在所巡査がいわゆる戸籍調べをした際は、近隣住民に佐々木姓で同人のことを尋ねるよりも和田姓による方が話しが通じ易く、同人宛の昭和四二年、四三年の郵便物中名宛人の表示を和田徳治としたものが、別段名宛人不明による持帰り等の迂路を経ることなく配達される等であつた。

なお又、前記居宅建築の借入資金は昭和四〇年三月完済されたが、同人はこの間を通じ本件選挙を経て昭和四五年一月に至るまで居宅を和田徳治名義のままとし、昭和三九年以降本件選挙後まで大曲市内の商店より物品を購入するについても和田姓で納品を受けた例があつた。

(三)  本件選挙執行後前記当事者間に争いのない事実のとおり佐々木徳治から異議申立がなされ、その決定に対して原告から審査請求申立がなされたことから、被告において佐々木の呼称として和田姓の通用している程度を調査するため、峰吉川地区選挙人名簿登載者より無作為抽出の方法でその七〇分の一に当る一九名を選んだ上、高令者一名を除く一八名を証人として尋問することとし、昭和四三年九月一一日そのうち一三名の証言を得たところ、その結果は次のとおりであつた。

即ち同人が一般に佐々木徳治以外の呼称で呼ばれる場合の呼称として「和田」と答えたもの七名、「和田徳治」とする者四名、「和田電気屋」「和田電気」とするもの各一名であり、これらのうち右証言当時自ら同人をどう呼ぶかについて、和田姓を用いる旨答えたもの八名、佐々木と呼ぶとするもの一名、同人の息子前記宏明が村役場に入つた昭和三九年からは佐々木と呼んでいるとするもの一名であり、残る三名中一名は同人と話しをしたことがないとの答えであり、その余の二名からは明確な答がなかつた。近隣の者達が同人をどう呼んでいるかについては、「和田」を用いているとし或はそうらしいと答えたもの一〇名であり、その余の三名はわからないとの答えであつた。

証人武藤謙蔵、同吉川太郎、同加藤好文の各証言中右認定に反する部分はいずれも上掲各証拠に照してたやすく措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。なお原告は、右認定の証人調べの前に右佐々木が各証人を訪問して自己に有利な証言をするよう依頼した旨主張するけれども、原告本人尋問の結果中右主張に副う部分はたやすく措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はなく、また前掲証人松淵の証言によれば、右証人調べに原告本人を立会わせなかつた事実が認められるけれども、反面同証言および原告本人尋問の結果によれば、原告において特にこれに立会いたい旨申出たものでないことが認められるので、他に特段の事情の認められない本件にあつては右事実を以て右証人調べの結果の信憑性を疑わせる事情とすることはできない。

次に佐々木徳治が本件選挙に立候補するに際して公職選挙法施行令第八八条第六項の通称使用の申請をし、認定を受けたとの被告主張事実について考えるに、前掲甲第五号証の一乃至八および証人進藤英一の第一、二回証言によれば、右佐々木においては訴外進藤五郎、同伊藤重三郎両名の推薦によつて立候補し、成立に争いのない同号証の九(通称使用申請書―成立に争いのない乙第二号証と同一)をその余の届出用書類と共に息子宏明を通じて昭和四三年三月一八日選挙長に提出して「和田徳治」の通称の認定を申請し、同日成立に争いのない乙第三号証(認定書)の交付を受けて右通称の認定を受けたことを認めることができる。

これに対し、右認定書と候補者推薦届等他の書類との綴り合せ方について検討するに、右甲第五号証の一乃至九および証人松淵忠美、同物部長照の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、これら甲号各証に、(1)枝番一および二(候補者推薦届および宣誓書)が一旦綴り合されて、のちにこれを解かれた上、その頃まで綴じられていなかつたその余の枝番三乃至九(枝番の順に戸籍抄本、候補者推薦届出承諾書、選挙人名簿登録証明書、同上、出納責任者選任届、選挙事務所設置異動届、通称使用申請書)と一括して一綴りにされたか、(2)これらすべてが一旦一括綴り合されて、のちに綴り直されたかのいずれかの事実の存在をうかがうに足る綴り穴の存することが認められる。

しかし乍らまず、これらのうち枝番九(通称使用申請書)のみが枝番三乃至八或いは枝番一乃至八と別個に受理保管されたことをうかがうに足る証拠はなく、かえつて右枝番一乃至九と前掲証人進藤の第一回証言および弁論の全趣旨によれば、枝番九に存すると同様に一部インクの色の濃い記載部分が枝番一、五、六、七(順次候補者推薦届、選挙人名簿登録証明書、同上、出納責任者選任届)にも存し、右五通の書類のこれら記載部分が書類受理までの間に前記佐々木宏明によつて他の記載部分とは幾分時間を異にし筆記用具を異にして記載されたものであることが認められるので、右通称使用申請書は右枝番一乃至八の書類と一括提出されたものと推認するに足る。また当裁判所が原告訴訟代理人申出の送付嘱託を昭和四四年二月一七日の第一回口頭弁論期日に採用し、同年三月三一日協和村選挙管理委員会に佐々木徳治の本件選挙における立候補届出関係書類全部の送付方嘱託し、その結果として同年六月一六日甲第五号証の一乃至九が当裁判所に送付されてその頃右代理人の閲覧謄写しうる状態におかれたことは当裁判所に顕著な事実であるところ、かたわら本件記録と弁論の全趣旨に照らせば、右通称使用申請の有無が争点となることを訴状によつて知つた被告乃至被告訴訟代理人において、第一回口頭弁論期日に先立つ同年二月一四日訴外滝沢喜一郎を通じて甲第五号証の九を複写機にかけてその写しを取得したことが認められるので、右事実に照らせば、右複写機にかけた際に甲第五号証の一乃至九の綴りが一旦解かれて綴り直されたものと推認するに足る。よつて前記綴り穴の存する事実は、右通称使用申請書が佐々木徳治の立候補の際に提出されたとの前記認定を左右する事情とするに足りない。

また右佐々木が本件選挙の運動をするについて通称として「和田」をポスターにも看板にも使用しなかつたことは当事者間に争いがなく、前掲証人佐々木の証言によれば、同人において「和田」乃至「和田徳治」の呼称を用いて街頭演説等をしたことのない事実が認められるけれども、右証言によれば、同人としては告示後他に佐々木姓および和田姓の候補者のあることが明らかとなつて、「佐々木」「和田」のいずれを使用しても運動に不便であることに変りがなかつたことから、強いて「和田」を用いることなく運動することとしたことが認められるので、右事実は通称使用申請、その認定に関する前記認定を左右するに足る事情とすることができない。その他前記認定を左右するに足る証拠はない。

以上認定の事実によれば、本件選挙当時訴外佐々木徳治本人を知る協和村選挙民の間に同人の通称として和田姓が一般的に通用していたものと認めることができる。

本件選挙における投票中に「和田徳治」の如く佐々木徳治の旧姓と名とを用いた票のなかつたことは前掲証人佐々木の証言によつてこれを認めることができ、また右佐々木が「和田」の呼称を用いて運動した事実のないこと前記認定のとおりであるけれども、これらの事実は上記認定の諸事実に照らせば「和田」が佐々木の通称として通用していたことの認定を左右するに足りない。その他右認定を左右するに足る証拠はない。

三、よつて本件一九票の投票は、和田長一については前記第一項認定の選挙会決定による得票数より一九票を差引いた残票、佐々木徳治については同項認定の同決定による得票数より他の佐々木姓の候補者との按分票を差引いた残票を各基礎として、これを両者に按分すべきものであり、前掲乙第一〇号証によればその結果は、総得票数和田長一が二一二・四八六票、佐々木徳治が一七二・八八九票となり、原告の得票数一六四・九六八票よりも佐々木の得票数の多いこととなることが認められるので、右按分の結果に基き原告の審査請求を棄却した被告の審査決定は正当であり、その取消を求める原告の請求は理由がない。

よつて訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

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